網戸の豆知識 6話 網戸、合成木材、断熱・省エネ製品、目隠し、異形押出し販売のセイキグループ

網戸の豆知識

6話 網戸の歴史

「網戸」とは、人にとって害のある蚊や蝿を家の中に入れない為のものであり、昨今では住宅を構成する窓の一部として欠かせない存在になっています。
この「網戸」とは、いったいどのような歴史を辿ってきたのでしょうか?

蚊帳

網戸を語る前に、網戸と同じ機能をもった「蚊帳」というものの存在があります。
蚊帳は網戸の原型と言っても過言ではなく、我々にとって身近なものとして活躍してきました。
一旦は姿を消したか様に見えましたが、最近になってまたその機能性が見直されて秘かなブームにもなりました。

蚊帳の起源

一番古い記録としては、応神天皇が播磨の国を巡幸の際に「賀野の里(かやのさと)」というところで御殿を作り蚊帳を張ったという記述が「播磨国風土記」にあります。
また、ほぼ同時期の「日本書記」によると、中国の呉から「蚊屋衣縫(かやのきぬぬい)」という蚊帳作りの女性技術者が渡来したとの記述が存在する事から、奈良時代より以前に中国より伝来してきたのが起源ではないかと考えられています。

近年の蚊帳

時を経て、戦国時代、近江国の八幡商人が麻の糸を織り蚊帳を作り始めました。
近江の国は現在の滋賀県であり、この地方は琵琶湖の湿気が蚊帳を織るのに適していたようです。
余談ですが、「ふとんの西川」の創業者、西川仁右衛門は19歳のときに蚊帳・生活用品業をこの地で開業しています。

戦国時代までは、蚊帳は上流階級だけの贅沢品で、価値としては「米にして2〜3石」
1石が約150kgのお米ですので、当時、庶民では手に入れることのできない高級品だったようです。
そのため、「戦国武将の娘(お姫様)」の輿入れ道具として扱われていたようです。

江戸時代に入ると西川をはじめ近江八幡には17軒の蚊帳屋が存在し、「日本蚊帳商工組合」(西暦2000年解散)の前身となる「講(こう)」が形成されました。そして江戸時代も後半になり蚊帳が一般家庭に普及するようになりました。

網戸の歴史

海外では、日本より古くから「網戸」が存在していたようです。
窓に防虫用のネットを張ったり、薄いカーテンを引いたりして蚊の浸入を防いでいたようです。
確かなところでは1660年にドイツで金属製網が使われたのが最初であるとされ、網戸の原型になったと言われています。
しかし、日本では前述の蚊帳ほどの古い文献や記録などの類がほとんどありません。

日本の住宅様式の変遷を考えるとある程度の推測ができます。

奈良平安時代の古い絵巻物などを見るとわかるように、建物には縁側を挟んで仕切るものがなく開放的でした。
すなわち部屋と部屋の仕切りも「帳(とばり)」程度のもので、網戸が存在するような建物様式ではなかったのです。
そのため、前述の蚊帳がこの時代から網戸が生まれるまで活躍したのです。

網戸が生まれるきっかけとは?

江戸時代の一茶の句に

「留守中も 釣り放したる 紙帳かな」

「月さすや 紙の蚊帳でも おれが家」

という句が存在します。ここで言う「紙帳(しちょう)」とは、和紙をもみほぐし、張り合わせて作る紙製の蚊帳です。
その紙帳には、壁面に30センチ角位の開口があり、そこには蚊帳の切れ端が縫い付けてあったそうです。
つまりこの時代には蚊帳の切れ端を開口に張るといった網戸の使われ方の原型がすでにあったことになります。
しかし、ここで網が使われる開口は、現在の引き違い窓のように可動式といったものでは当然ありません。
推測になりますが、現在の網戸のようなものが登場する条件としては、当然のことながら窓の形状が引き違い式でなければなりません。

では窓が、現在の窓のように外気を遮断するような使われ方をしたのはいつ頃かということになります。
形態としては、戸板式の雨戸が外気と縁側を遮断していたものが引き違いの窓としても使われ出したのが窓の出発点となります。
しかし、現在のような使われ方をするには長い年月を必要としました。
結論的には硝子窓の登場が劇的変化をもたらす要因となりました。

ガラスを使った窓の登場

「旭硝子(現:AGC)」によって、国産の硝子が生産されたのは明治42年のことで、大正に入ってから「機械吹き法(ラバース法)」などの生産法が広く普及しました。
これにより、大量生産が可能となり、硝子を使った窓は急速に普及していきます。
ではこの頃から網戸が出てきたのか?と、言うとそうでもありません。
まだこの時点では、窓のメーカーや網戸のメーカーというものの存在はしていませんでした。

では、誰が窓を製造していた?のかと言うと。

当時、窓を作っていたのは大工さんから分業していった建具屋さんだったのです。
諸説ありますが、建具屋さんが虫の侵入を防ぐ目的で、蚊帳の素材や金網を使い、窓ガラスの代わりに窓に「はめ込む網戸」を作ったのではないかと考えられています。
しかし、はめ込み式網戸はごく少数の事であり、多くは、窓の全面を覆い隠すように蚊帳の素材を張っていたようです。
このような状態は日本が戦後から立ち直る昭和30年代中頃まで続きました。
木製サッシの網戸の登場もありましたが、明確な規格がなかった事が網戸があまり普及しなかった要因でもあり、当時の情報が少ない要因でもあります。

網戸の急速な普及

昭和30年代に入り、「網戸」がようやく広く普及することになる出来事が二つありました。

一つ目は、「垣内商事(現:ダイオ化成の前進)」が、国内初となる合成繊維による防虫網を開発したことです。
この防虫網は、サランと呼ばれる塩化ビニール系の樹脂が素材として用いられ、この素材の名前から防虫網のことを「サラン」と呼ぶ人もいました。現在では環境問題への観点から、ポリプロピレン樹脂系素材のものが一般的となりました。

二つ目は、網戸にとって最も大きな影響をもたらした「アルミサッシ」の登場です。
アルミサッシは昭和35年から40年にかけて登場し、瞬く間に普及していきました。
また、網戸のフレームも木製からアルミに変わり、開口にはアルミサッシと網戸のセットが当たり前になりました。

蚊帳の衰退と網戸の未来

網戸の普及と比例するように「蚊帳」は姿を消す事になりました。
しかし、現在のような形態の網戸に変わってから、ここ半世紀くらいしか経過していないと言う事実です。
セイキでも本格的に網戸の生産を開始したのが昭和40年以降のことですから、歴史的には網戸屋の老舗とも言われている所以であります。
現代では、アコーデオン式の網戸やロール式の網戸といった収納式の網戸も発売され、普及してきました。
人と蚊の戦いが今後も続くかぎり、網戸の歴史も続きます。

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